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叱ってくれる人がいることのありがたみ      2014/02/03

本日は、節分です。
 常連のお寺様に紅白の菱餅と神社に紅白丸餅を納品しました。昨日今日と新潟は不思議なくらい暖かく、本当に例年に比べ雪も少なく暖冬です。
 生活するのには良いのですが、お餅を冷ますのにある程度寒くないと時間が掛かってしまい都合が悪いので考えものです。

 さて、最近色々と考えさせられたことがありました。自分自身に直接大きく関わったことではなく、他人を見て思ったことですので詳細は省きますが、叱ってくれる人・注意をしてくれる人・怒ってくれる人がいることの大切さ・ありがたさを改めて気づかされました。
・・・・叱られたた時は受身として感情的なことも入ってしまい冷静ではないことが多く、あまり気持ちの良いものではありません。
 しかしながら自分の事を想って言葉をかけてもらったことは、その時は分からないことが時間の経過と共に様々なタイミングで後々自分の行動・ジャッジの指標や常識・モノの考え方・意識の仕方等非常に為になっていることが多いと経験上私は思います。
 逆に、明らかに間違った考えや非常識な行動をしているのにも拘らず、誰からも注意や怒られることが無い年下の方(裸の王様)何人かと接した時、なんと言葉で表せばいいのか非常に難しいのですが、困惑と共に残念な気持ちと自分が今まで恵まれてきたんだと感謝の気持ちが込み上げてきました。
 というのも、自分自身注意をする気が起きなかったからです。たぶん周りの方々も注意をされなかったのは同じ気持ちだったからだと思いますが、自分がそう思った理由は2つあります。1つはあまり親しくない方で気を使う方だった事。2つ目は言ったところで無駄だと感覚的に想ったことです。
 注意をしなかった自分は人としてどうなんだと自己嫌悪を感じましたが、注意をする・叱るというのは、言葉に責任が生じると同時に相手に対して成長への期待と頑張って欲しいと言う信頼があって行動することで、申し訳ないですが、ソコまで感じられなかったのが正直な気持ちです。
 サラリーマン時代、色々な諸先輩方に相談に乗ってもらったり、お叱りを受けたり、応援して頂いたり周りに本当に恵まれていたと感謝しかありません。新潟に帰ってきてからは、このような環境もあり幼馴染や両親からの厳しい言葉意外は極端にお叱りや注意を受けなくなりました。私自身、裸の王様にならぬようヨリ客観的に物事がみられるよう、叱れる人間になれるよう、気を引き締めていこうと感じました。
 


 さて、話は変わりますが1月中旬から後半にかけて毎週常連のお客様との『餅搗き』お手伝いもあり、充実した日々を過ごさせてもらいました。
 また、お酒のおつまみに買った『かっぱえびせん』で面白い形のえびせんが2つ入っていただけですが、少し幸せな気持ちにさせてくれました。今後いいことあるかもー(笑)


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